田舎暮らしの値段Ⅱ
2016年03月13日 徒然日誌(移住の準備のこと)
広い敷地の中に小さなフラットハウスを建て、晴耕雨読の日々を送る、それが私の夢だった。
自己資産の範囲での実現は、住み慣れた横浜やその近郊では難しいが、地価の安い田舎ならできるかも知れない、そう思った。
宇宙のかなたから、地球を、そして日本という島を眺めるとしたら、人間たちが地べたに線を引っ張って、それを所有する権利を得ようと札束を積み上げる風景をどう思うだろう。それは半生に亘って働いた報酬なのだ。やがて、札束をたらふく吸い取った地べたの上に、新建材を接着剤でくっつけたような小洒落た箱が乗る。これぞ憧れのマイホーム、というのは真っ平ごめんだった。
だから、移住した。
広大な敷地なのだから、自宅の周りは農園にしてヤギを飼おう、ハーブやベリーを植え、花を咲かせて、野菜をつくり、果樹も育てよう、ミツバチや鶏もやってみよう、ということになった。そうなると相応の投資が要る。惜しくはなかったが、のんびり晴耕雨読の悠々自適は、しばしお預けだ。
どうやって稼いでいこうか。おぉそうだ、その農園に浮かぶようにしてレストランをつくろう、と想った。情報通信網と交通網が発達している現代、在郷の地であろうが、それが本物であれば、ビジネスとして成立する筈だ、という仮説を立てた。
だから、起業した。
資産運営の見地から、私たち夫婦の移住・起業をみるとそういうことになる。
仮説は半ば当たり、半ば外れた。
夏を中心にした繁忙期は予約で満席が続く。数ヶ月間、戦闘状態。厳冬は真逆だ。英気はたっぷり養えるが、閑散とする。
町外からの来客が8割、その9割が女性という店である。吹雪に閉ざされる冬の運転はさすがにつらかろう。情報通信網と交通網の発達という2大前提のひとつが折れてしまうのである。うかつだった、と言うより、土地事情に疎い移住者起業の盲点である。
通年でならすと、可もなく不可もなくの低空飛行。まずいな、これは討ち死か、という思いのなか、一年経ち、二年経ち、三年経ち、四年経ち、・・・・ある日、ふと、あれっ、生きているではないかと思った。
喰えている。お金に困って、なにか我慢しているわけでもない。むしろ、生活の質があがっている気すらする。
思い起こせば、つまりは、生活スタイルが180度ほども変わった。それが経費にも現れたということだ。
早寝早起きである。毎朝毎夕、犬の散歩をし、ヤギの世話をし、農園作業をする。週に5日は厨房に立ち、休店日でも仕入れや仕込みを行う。消費よりは、生産に軸を傾けた生活になった。
具体的には、団地の家賃がなくなったのがまず大きい。外食費や交際費がほぼなくなったのが、それに次ぐ。服飾費もほとんどかからない。嗜好品や贅沢品も、まず買わない。
飲食店だから、大量の食材を仕入れる。端材が出てくる。魚を箱買いすれば、アラも出る。賞味期限を厳密に運用しているし、在庫落ちも0ではない。それらが賄いに回り、畑には野菜がある。すこぶる贅沢な食卓ながら食費が抑えられる。
そう言えば、旅行も行かないからレジャー費もない。家畜の世話があって、家を空けることができないこともあるが、そもそもここは楽園である。しかも発展途上の面白さに溢れている。わざわざ出かける理由がないのである。
かくして、夫婦ふたりの生活費は、年200万に至らない。都市生活時代の1/3以下である。
それでは、私たちの移住が、地域の実経済に利していないかというとそうではない。今のは私的生活費の話しだ。
移住してから6年、商売のために店舗や什器や厨房機材などの整備で初期投資したり、食材を仕入れたり、ガソリン代や光熱水費など、いっさいがっさいを合せると、総和で7-8,000万の支出となる。それらの大多数は地元に落ちている。商売を興せば、それが小さなものであっても、相応にお金が通過する。悠々自適の生活者よりはるかに経済を動かすのである。
在郷の地でのレストラン事業を通じて悟ったことがある。そもそも私は、金稼ぎの上手い経営者にはなれなさそうだ。
だが、この地で、理想に近い住宅環境を実現した。農園には生命が満ちている。多くの生産者やお客に支えられ、ときに恩返しして生きている。店は、いろいろなイベントでも利用され、にぎわいの拠点になった。金儲けはできていないが、人儲けなら満点だ。
地方移住・起業に挑んで得られたものは、とてつもなく豊かな生き方であった気がする。あとは、今に見ていろ晴耕雨読・・・だな。

のどか~
自己資産の範囲での実現は、住み慣れた横浜やその近郊では難しいが、地価の安い田舎ならできるかも知れない、そう思った。
宇宙のかなたから、地球を、そして日本という島を眺めるとしたら、人間たちが地べたに線を引っ張って、それを所有する権利を得ようと札束を積み上げる風景をどう思うだろう。それは半生に亘って働いた報酬なのだ。やがて、札束をたらふく吸い取った地べたの上に、新建材を接着剤でくっつけたような小洒落た箱が乗る。これぞ憧れのマイホーム、というのは真っ平ごめんだった。
だから、移住した。
広大な敷地なのだから、自宅の周りは農園にしてヤギを飼おう、ハーブやベリーを植え、花を咲かせて、野菜をつくり、果樹も育てよう、ミツバチや鶏もやってみよう、ということになった。そうなると相応の投資が要る。惜しくはなかったが、のんびり晴耕雨読の悠々自適は、しばしお預けだ。
どうやって稼いでいこうか。おぉそうだ、その農園に浮かぶようにしてレストランをつくろう、と想った。情報通信網と交通網が発達している現代、在郷の地であろうが、それが本物であれば、ビジネスとして成立する筈だ、という仮説を立てた。
だから、起業した。
資産運営の見地から、私たち夫婦の移住・起業をみるとそういうことになる。
仮説は半ば当たり、半ば外れた。
夏を中心にした繁忙期は予約で満席が続く。数ヶ月間、戦闘状態。厳冬は真逆だ。英気はたっぷり養えるが、閑散とする。
町外からの来客が8割、その9割が女性という店である。吹雪に閉ざされる冬の運転はさすがにつらかろう。情報通信網と交通網の発達という2大前提のひとつが折れてしまうのである。うかつだった、と言うより、土地事情に疎い移住者起業の盲点である。
通年でならすと、可もなく不可もなくの低空飛行。まずいな、これは討ち死か、という思いのなか、一年経ち、二年経ち、三年経ち、四年経ち、・・・・ある日、ふと、あれっ、生きているではないかと思った。
喰えている。お金に困って、なにか我慢しているわけでもない。むしろ、生活の質があがっている気すらする。
思い起こせば、つまりは、生活スタイルが180度ほども変わった。それが経費にも現れたということだ。
早寝早起きである。毎朝毎夕、犬の散歩をし、ヤギの世話をし、農園作業をする。週に5日は厨房に立ち、休店日でも仕入れや仕込みを行う。消費よりは、生産に軸を傾けた生活になった。
具体的には、団地の家賃がなくなったのがまず大きい。外食費や交際費がほぼなくなったのが、それに次ぐ。服飾費もほとんどかからない。嗜好品や贅沢品も、まず買わない。
飲食店だから、大量の食材を仕入れる。端材が出てくる。魚を箱買いすれば、アラも出る。賞味期限を厳密に運用しているし、在庫落ちも0ではない。それらが賄いに回り、畑には野菜がある。すこぶる贅沢な食卓ながら食費が抑えられる。
そう言えば、旅行も行かないからレジャー費もない。家畜の世話があって、家を空けることができないこともあるが、そもそもここは楽園である。しかも発展途上の面白さに溢れている。わざわざ出かける理由がないのである。
かくして、夫婦ふたりの生活費は、年200万に至らない。都市生活時代の1/3以下である。
それでは、私たちの移住が、地域の実経済に利していないかというとそうではない。今のは私的生活費の話しだ。
移住してから6年、商売のために店舗や什器や厨房機材などの整備で初期投資したり、食材を仕入れたり、ガソリン代や光熱水費など、いっさいがっさいを合せると、総和で7-8,000万の支出となる。それらの大多数は地元に落ちている。商売を興せば、それが小さなものであっても、相応にお金が通過する。悠々自適の生活者よりはるかに経済を動かすのである。
在郷の地でのレストラン事業を通じて悟ったことがある。そもそも私は、金稼ぎの上手い経営者にはなれなさそうだ。
だが、この地で、理想に近い住宅環境を実現した。農園には生命が満ちている。多くの生産者やお客に支えられ、ときに恩返しして生きている。店は、いろいろなイベントでも利用され、にぎわいの拠点になった。金儲けはできていないが、人儲けなら満点だ。
地方移住・起業に挑んで得られたものは、とてつもなく豊かな生き方であった気がする。あとは、今に見ていろ晴耕雨読・・・だな。

のどか~
Comment
昨日は有難うございました。
久振りに小気味良い山本節に触れることが出来ました。
ブログ楽しみに読ませて頂きます。
2016/03/13 Sun 19:39 URL
こちらこそありがとうございました。
すっかりご無沙汰しておりましたが、このとおり元気です。どこかで機会があれば、雑談でもしたいものです。
2016/03/13 Sun 20:15 URL