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親父の値段

2016年03月07日 徒然日誌(余話)
 先日、娘婿の親父殿と飲んだ。飲んだ、なんてもんじゃない、爆飲した。
 彼は、私と同い年の61。わたし同様に50代半ばで、大手企業を勇退、後進に道を譲った。子会社に再就職し、そこを60歳で退職し、嘱託となり現在に至っている。
 娘からも、婿からも二人は似ている、と言われる。言われるまでもなく、お互いに感じるところもあって、親父同士で飲みに行こう、ということになった。横浜の関内で待ち合わせ、彼の行きつけのスナックに向かった。

 山形育ちのママがつくるつまみは、どれも手作りで美味かった。ぬか床をかき混ぜるため、休店日も必ず来るそうで、乾きものが相場のスナックという枠からはみ出ている。となれば、飲むのは日本酒・・・となる。
 酒どころに居るが、私は普段、日本酒を口にしない。酔いが過ぎてしまうからである。が、こう、さしで飲む席で、いやあ、自分は洋酒党でして、となるほど無粋ではない。すぐさま、心のスイッチをドーンと切り替えた。モードを日本酒全開・最高レベルに設定する。
 米沢の酒という東光・大吟醸山田錦はすこぶる旨かった。
 親父殿は通である。歴戦の強者が、ぐいぐいと行く。しかも、万全の態勢でこの酒席に臨んでいる。後れをとってはなるまい。ここで負けては、歴史を汚す、なんの歴史かさっぱり分からぬが、それだけは守らなければならない。
 杯が杯を重ね、一升瓶が空になり、次なる辛口の栓が開く。さん付けだったのが、いつのまにやら、ちゃん付けの呼び合いとなり、サライなんぞを肩組み合って、大声で歌っている。
 おやじ二匹の横浜の夜はこうして更けるのである。

 大手の企業から子会社に再就職すると、それまでの収入が7割程度になる。そこを退職し、嘱託になる段階で、また7割程度になる。手当てなども減るから、一時に比べると四割の稼ぎなんだと言っていた。それが今の世のならいであるから、別にこぼしたわけではない。四割と言っても、以前の稼ぎがいいのだから、格差社会の現代にあって幸運の部類に入る。まあ、それでやってますわ、という感じだった。
 それはまだいい。私はと言えば、転身して飲食業を始めたが、夫婦ふたりで働いた総売り上げが、会社員時代の収入に満たない。総売り上げが満たないのだから、収益で考えるとまったく比べるべくもない。別にこぼしたわけでない。まあ、それでも生き延びてますわ、ということである。

 かつて、自分が帰属する会社や肩書やサラリーなど、気にしないふりをしながら、相当、がんじがらめになっていたように思う。それらは、矜持という札をかけるほどもなく、脆いものだということを知って、なおしがみついていた。
 退職によって、組織から離れ6年。そんなものはみな吹っ飛んでいった。満杯だった自分というものの中のエセな荷物がなくなり、一陣の風が吹く。肌寒くあるが、実に爽快だ。
 移住し、転身したことは、生活スタイルを革新した。たくさん稼いでたくさん消費することから、食べられる分だけ稼いで、自足的に生産することになった。その過程で、自分という人間の中にこびりついていた傲慢さやひとりよがりが、この田舎の社会や自然に融解されていくのが分かった。そのことだけで、地方に移住して良かったなと思う。足るを知る、ことだ。

 それにしても、この歳にして、親父ふたりの一升酒は、なかなか強烈だ。これほど愉快な酒席はそうそうあるものではない。思えば、4年ぶりの再会でもあった。酩酊の朧アタマで、この二人の親父は、ちったぁ昔より値打ちが上がったかも知れんな、とひとりごちるのであった。

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甘露、甘露・・・

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