ヤギのチーズと百花蜜
2016年02月25日 徒然日誌(起業・仕事のこと)
かつて、ここでレストランを開く、と言ったら、お前は頭がおかしいと云われた。 タヌキか、キツネにでも飯を食わす気か、と・・・。移住にあたって、お世話になったNPOの面々は、さすがに気狂いとまでは云わないが、いくらなんでも無謀だろうと、誰もが思っていた、と今になって教えてくれた。
譲り受けた土地は、20-30年も放置され草木生い茂る荒地、廃屋の内外はゴミの山だった。ある日、雑木を伐っていたら、道端に留まった軽トラからおじさんが降りてきて、ひとこと呟いて、パタパタ立ち去った。「おらがたなら、お前ぇさタダでけでやるって言われでも、いらねぇっていう土地だ」。
そういう声を発奮材料にし、ついに開業に漕ぎつけた、と記事にする記者もいた。しかし、当の私たち夫婦は、不思議に落ち込むことも、憤慨することもなかった。
彼らには、荒廃した土地という目の前の現実しか視えなかった。だが、私たち夫婦には、静定した後に広がる農園やレストランの穏やかな映像が視えていた。
視えない何十人から視えないと言われても、視えているのだから視える、そういうことなのだと想う。
開墾がひと段落ついて、建屋や小屋が立ち、牧柵が廻りヤギがやってきて、農園には芝が張られた。やがて花が咲き、野菜が実り、果樹も植わった。ある日、種まきをしていたら、道端に留まった軽トラから、いつぞやのおじさんが降りてきて、「いやぁ、いぐなった、いぐなった、こいだば最高だ」と叫び、パタパタ立ち去った。
視えなかったものが、かたちになって視えた。そういうことだ。
せっかく開いたレストランなのだから、たくさんのお客に来ていただきたい気持ちは山々だが、実のところ、私が本当にやりたいのは、ヤギのフレッシュチーズにひとたらしのハチミツをかけて食べることだ。もちろんチーズは、搾ったヤギミルクから造る上等なものだし、二ホンミツバチを飼って百花蜜を採る。
と言い出せば、またしても、お前は頭がおかしい、さっぱり分からん、ということになるだろう。
里山の生態系を創る、のだ。
そこには生命(いのち)のつながりがあり、循環がある。草木や野菜やハーブや果樹や、ヤギやイヌやネコやミツバチや昆虫や鳥や獣が、同格・同列に生きている。それらは産まれ育って、あるいは枯れたり、死んだりしていく。私たち人間は、その生態系の一員として息づく。労働によって系を維持し、代わりにさまざまな恵みを享受する。
と言い換えれば、なおさら分からんとなるのだろう。
ときどき南面の丘にたち、土地とその周辺を一望する。
それは広いキャンバスだ。粗くデッサンし、筆で色を塗っては、いやいや、そうじゃないな、と書き直す。早々、かんたんにまとまるはずもない。しばらくして妄想に疲れ、丘を降りる。そんなことを何十回、何百回、繰り返してきた。
妄想は至福である。夢のなかではなんでもできる。だが、それを実際にやる段になり、試行錯誤の末の失敗が続く。そんなことを何十回、何百回、繰り返してきた。
それでも、やがて一歩進んでいく。一歩が次の一歩になり、あるときふと振り返ると、なんとなくキャンバスに絵らしきものが描かれているのに気づく。気に入ることもあるが、もう一度書き直してみたくなることが多い。
つまりは、エンドレスなゲームであり、永遠に完成することもない。
ただただ、ヤギのフレッシュチーズにひとたらしの百花蜜をかけて食べるのだ、いつぞやそれをきっとやるのだ、と次なるマイルストーンを呪文のように唱えている。

移り住む以前の光景

開墾が進んで

開業時の姿
譲り受けた土地は、20-30年も放置され草木生い茂る荒地、廃屋の内外はゴミの山だった。ある日、雑木を伐っていたら、道端に留まった軽トラからおじさんが降りてきて、ひとこと呟いて、パタパタ立ち去った。「おらがたなら、お前ぇさタダでけでやるって言われでも、いらねぇっていう土地だ」。
そういう声を発奮材料にし、ついに開業に漕ぎつけた、と記事にする記者もいた。しかし、当の私たち夫婦は、不思議に落ち込むことも、憤慨することもなかった。
彼らには、荒廃した土地という目の前の現実しか視えなかった。だが、私たち夫婦には、静定した後に広がる農園やレストランの穏やかな映像が視えていた。
視えない何十人から視えないと言われても、視えているのだから視える、そういうことなのだと想う。
開墾がひと段落ついて、建屋や小屋が立ち、牧柵が廻りヤギがやってきて、農園には芝が張られた。やがて花が咲き、野菜が実り、果樹も植わった。ある日、種まきをしていたら、道端に留まった軽トラから、いつぞやのおじさんが降りてきて、「いやぁ、いぐなった、いぐなった、こいだば最高だ」と叫び、パタパタ立ち去った。
視えなかったものが、かたちになって視えた。そういうことだ。
せっかく開いたレストランなのだから、たくさんのお客に来ていただきたい気持ちは山々だが、実のところ、私が本当にやりたいのは、ヤギのフレッシュチーズにひとたらしのハチミツをかけて食べることだ。もちろんチーズは、搾ったヤギミルクから造る上等なものだし、二ホンミツバチを飼って百花蜜を採る。
と言い出せば、またしても、お前は頭がおかしい、さっぱり分からん、ということになるだろう。
里山の生態系を創る、のだ。
そこには生命(いのち)のつながりがあり、循環がある。草木や野菜やハーブや果樹や、ヤギやイヌやネコやミツバチや昆虫や鳥や獣が、同格・同列に生きている。それらは産まれ育って、あるいは枯れたり、死んだりしていく。私たち人間は、その生態系の一員として息づく。労働によって系を維持し、代わりにさまざまな恵みを享受する。
と言い換えれば、なおさら分からんとなるのだろう。
ときどき南面の丘にたち、土地とその周辺を一望する。
それは広いキャンバスだ。粗くデッサンし、筆で色を塗っては、いやいや、そうじゃないな、と書き直す。早々、かんたんにまとまるはずもない。しばらくして妄想に疲れ、丘を降りる。そんなことを何十回、何百回、繰り返してきた。
妄想は至福である。夢のなかではなんでもできる。だが、それを実際にやる段になり、試行錯誤の末の失敗が続く。そんなことを何十回、何百回、繰り返してきた。
それでも、やがて一歩進んでいく。一歩が次の一歩になり、あるときふと振り返ると、なんとなくキャンバスに絵らしきものが描かれているのに気づく。気に入ることもあるが、もう一度書き直してみたくなることが多い。
つまりは、エンドレスなゲームであり、永遠に完成することもない。
ただただ、ヤギのフレッシュチーズにひとたらしの百花蜜をかけて食べるのだ、いつぞやそれをきっとやるのだ、と次なるマイルストーンを呪文のように唱えている。

移り住む以前の光景

開墾が進んで

開業時の姿