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余裕のかけら

2016年02月10日 徒然日誌(余話)
 先日、町主催の移住体験ツアーがあり、その懇親会の席上でかんたんな自己紹介をしたところ、移住時にお世話になったNPOの理事長から、余裕が出てきたんだね、と声を掛けられた。 移り住んで、そろそろ6年になるが、いま一度初心に戻って、やり損ねたことを丁寧に拾いたい、と話したくだりで、そう感じたという。
 余裕、とまでは云えないが、そのかけらのようなものが出てきたことは確か。昨年あたりから、ようやく少し見えてきたかな、という感触がある。そう言えば、このブログの更新も3年ぶり、これもそのかけらなのかも知れない。

 見知らぬところに移住し、経験ないジャンルで起業する、というのは、想像以上にたいへんだ。知らないからこそ始めてしまったし、できちゃったわけだが、つまりは遮二無二やるしかなかった。
 そして、ふとあるとき、ふむ、と合点できるようになったのだ。

 こんなことをし始めて、後悔したことはありませんか、と訊かれることがある。それは愚問だなあ、だって、ゲームは始まってるんだぜ、攻防の真っ最中、そんなときにこの試合やるんじゃなかったって、後悔するかい、そんな暇すらないでしょ、とお応えする。
 思えば、毎日毎日、ヤギの世話をし、農園に手を入れ、犬の散歩に出かけ、仕入れし、仕込み、調理して、お客さまにサービスし、片付けることを繰り返してきた。ヤギのフン拾いを通算3,600回やったことになるし、お客さまの数は延べで2万人近くになる。
 食材の仕入れはいつ、どこに、どうやればいいのか、季節ごとになにがあるのか、メニューの組み立てをどうするか、どういうレシピで調理するか、いつ仕込むか、どうサーヴするか、それらも備わってきた。料理は段取り八部の世界。今は3-4種の調理を並行して行うこともできる。頭で考えるのではなく、カラダが反応する。
 仕事量が減ってきたわけではない。むしろ随分増えた。消化能力が上がって、かつ苦に感じなくなったということだ。

 このように書くと、いかにも風に聞こえるが、やるにつれて、先の果ない広がりやそびえる壁も見えてくる。だから、まあまあという気分より、まだまだという気持ちが強い。
 少し見えてきたかな、という感触を持ったところで、満足してしまえば、成長が止まる。成長が止まれば、その事業は死ぬ。いま一度初心に戻る、きっとそういう時期なのだろう。

 遮二無二やってきた6年を振り返れば、そこに私たち夫婦の成長が見える。人間としての成長であり、新たな技術・能力を会得する成長であり、周囲に感謝する心の成長である。のびしろがまだまだある、とも実感している。
 人間、いくつになろうが、新しい世界にチャレンジしてみるが良い、と思えるのである。

goro-san
少し前ですが 牧場前で 橋本五郎さんと

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